第41回 僕の破壊王

 Gスピリッツ編集部がある場所と僕とは不思議な縁で結ばれている。編集部のあるビルの裏側にあるお寺。そこに僕の父が眠っているのだ。
 物心が付く前に父を亡くしている僕は、成長していく過程の中で、幾度となくこの地を訪れてきた。それが今や通勤路となっているのだからわからないものだ。お寺の周りは鬱蒼と木々が生い茂っていて、僕の記憶には夏場の照りつけるような暑さと、その木々から聞こえるセミの鳴き声が印象的な景色としてすり込まれている。
 そう言えば、同じような雰囲気をプロレス記者として味わったことがあるなぁ…。なんて最近の暑さの中で既視感を感じ、必死に記憶を辿っていくと、ひとつの出来事にたどり着いた。それは橋本真也さん(以下、敬称略)の葬儀だ。
 とにかく暑い日だったのを覚えている。朝早くから慣れない喪服姿で取材にあたった。沢山のレスラー、沢山の関係者、沢山のマスコミ、そして、沢山のファンが集まった。全てが終わり、僕の心にも抑えきれない感情が渦巻く中で、会社に戻ろうとタクシーに乗った時、僕の着ていたYシャツは汗でグッショリと濡れていて、まるでテレビドラマのワンシーンみたいにネクタイを緩め、大きくため息をついたことがなぜか印象に残っている。もうあの日から3年もの時間が過ぎようとしている。
 僕にとって橋本真也は特別なレスラーではない。いや、正直なところ、嫌いだったと言っても過言ではないかもしれない。僕が四天王時代の全日本プロレスを好きになった理由は、払ったチケット代以上の興奮と感動を味わえるからなのだが、反対にそれよりも先に見ていたのにも関わらず、新日本プロレスファンにならなかったのは、払ったチケット代が無駄に終わったことが何度かあったからだ。その象徴が当時のIWGP王者・橋本真也だった。
 試合にムラがあったため、タイトルマッチといえど、不満を感じることが少なくなかった。逆に三冠戦の平均点は異常なほど高く、それが大きな理由となって、僕は全日本に傾倒していくことになる。
 とは言っても、G1を制した瞬間も、武道館で行われたライガーとのシングルマッチも、僕は生で試合を観戦していて、それはそれで強烈な印象を残している。僕はムラと表現したが、その振り幅が橋本真也の魅力なのだろう。その魅力がファン時代の僕には合わなかったし、出会い方が悪かっただけなのかもしれない。
 記者となってからもほとんど接点はなかった。名刺を渡し、「頑張れよ」と声をかけられたことがあったが、その直後、橋本とゼロワンの間に亀裂が入ったことでゼロワンMAX旗揚げへと繋がっていき、僕の取材対象ではなくなってしまった。僕が所属していた『格闘魂』はゼロワンのオフィシャル携帯サイトでもあったが、橋本と他の選手の間に問題が起きず、橋本自身が健在であれば、今頃、僕は業界で一、二を争う橋本番記者になっていたかもしれない。
 今年もゼロワンMAXがディファ有明でメモリアル興行を行うことが発表された。ハッスルや新日本プロレスなど橋本と縁のある団体がイベントを行うかどうかは現時点では不明だが、あくまでも僕自身の個人的な感覚から言わせてもらうと、そろそろひとつの区切りを付けるべきではないかと思う。
 一般的な法要は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と少しずつ期間が空くようになり、最終的には五十回忌で終わるとされている。我が家の場合もそういう時間を過ごしてきたが、時間が経つごとに、少しずつ痛みもなくなり、それが当たり前になって、今や当時のことを忘れるようになってきた。それは決して悲しいことではない。
 僕は橋本真也の存在を忘れることがそろそろ必要なのではないかと思っている。あくまでもポジティブな意味で。忘れるからこそ思い出すことができるのだ。
 昨年の1・4新日本プロレス東京ドーム大会のメイン。大会を締めたのは武藤と蝶野、そして、ビジョンに映し出された橋本の姿だった。しかし、試合後、武藤は素直な感想として「橋本の力は借りたくなかった」「橋本のことは全て俺の中では思い出や回想でもある」と語っている。プロレス界の1年を通じて最大のイベントを締めたのが、現在進行形の試合ではなく、過去への追憶だったことに、武藤は危機感を感じたのかもしれない。
 もちろんゼロワンMAXが行うイベントを否定しようとしているのではない。大谷や田中、高岩の中には僕が想像も付かないような思い入れや苦悩、思い出や後悔があるだろうし、それを形として表すのは間違った行為ではない。ただ、マスコミやファンも含めて、そろそろ次のステップに進む時期が来ているのではないかと思う。
 まだまだ冬の時代と言われるプロレス界。その中で一番ベストなのは、常に会場には熱気が溢れ、超満員の観客が集まるような状況になった上で、押し付けがましくなく、目立たない形で追悼の10カウントゴングを鳴らす……、そんな形ではないだろうか。
 派手なイベントではなく、根本的にプロレスの熱を取り戻すことこそ、橋本が望んでいることだと僕は思う。破壊王はもういない。しかし、形として表さなくても、たとえ忘れてしまっても、僕らの心の根っこの部分にはいつでも破壊王は存在するのだから。




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