第46回 グラビアアイドルと柴田勝頼の落としどころ

 昨日で月刊誌『スコラ』が無事校了した。
 この2週間はこの携帯サイト更新の仕事を除くと、ほとんどプロレス&格闘技の仕事はしておらず、もっぱら取材対象はアイドルばかりで、もはやプロレス記者とは言えないぐらい(なお、今月25日発売のスコラでは巻頭グラビアのインタビューを担当しておりますので、ぜひチェックを!)。ただ、取材を続けているうちに、はた目からは華やかに見える芸能界も、実際はシビアな世界なんだなということが改めて分かってきた。
 現役アイドルだけでなく、かつてアイドルをしていた人を取材する機会も多いのだが、そんな方々の話を聞いていて思うのが、“落としどころ”の難しさだ。最近はアイドルにも色々な形があるし、その言葉は大きな幅を持つようになってきたが、やはり基本的に求められるのは外見。顔だったり、プロポーションだったりが最も重視されているのは間違いない。
 となると、現実的に言えば“旬”が存在する。誰もが老いるし、いつまでもキレイではいられない。“一般層にも通じる知名度を持つ”というそこそこのレベルを持ったアイドルになるのも大変だが、いざアイドルになってから、どこに向かっていくのかも難しい選択が迫られる。演技力を磨いて役者を目指したり、ボイストレーニングを続けて歌手を目指す人もいるし、自分の得意分野を作ってその業界で生きていく人もいる。または結婚して女性としての幸せを掴もうとする人もいる。
 ただ、その選択はアイドルという特殊な生活を続けながらしなくてはならない。うら若き女性が、蝶よ花よとおだてられ、女神のように崇められ、男性の視線を一身に受けつつ、さらにマネージャーなどの生活を背負いながら、いつのまにか人生の岐路に立ち、実感のないまま自分の道を決めるのは至難の業だろう。だいたい自分がこうしたいと思っても、それを世の中から求められるかどうか分からない。今やアイドルもピンキリだし、ネットアイドル、AVアイドル、タルドル、バラドル、お笑いアイドル、etc…と異常な広がりを見せている。知り合いを辿っていけば、誰でもアイドルにたどり着ける(自称も含めれば)、そんな時代になった。だからこそ余計に彼女たちの身には、30歳あたりを区切りにして、様々な悲喜劇が巻き起こっているだろう。
 落としどころ。そんな言葉を頭でこねくり回していると、1人のレスラー…いや、格闘家の名前が思い浮かんだ。序文があまりにも長くなってしまったが、今回は柴田勝頼について書いてみたい。
 プロレスマスコミ内では柴田の評価はそれなりに高い。だが、僕にとっては取材対象になったこともほとんどなく、個人的な繋がりはまったくなく、正直言ってかなり遠い存在だ。ましてや、個人的な好みで言えば好きなレスラーでもない。
 ファンの声としても、これだけ好き嫌いがはっきりするレスラーも珍しいかもしれない。まずプロレス内だけを考えると、「ストロングスタイルを体現する選手」「独特の緊張感、殺気がある」「昭和新日本の匂いを持った男」なんて評価がある一方で、「プロレスラーとして結果を出していない」「ヘタクソ」「スタイル、技、雰囲気があまりにも偏りすぎている」「受けに回ると弱い」なんて声を聞いたこともある。この辺の評価のばらつきは、たぶん、新日本を離脱してからの柴田が迷走を続けているところに起因しているのだと思う。
 純粋な格闘技ファンの声はもっと厳しいものになる。「結果を残していない」なんていうのは序の口で、「調子に乗るな」「アマチュアからやり直せ」「とっととプロレスに帰れ」なんてものもある。まあ、これまでの試合内容・戦績を見れば、当然の意見とも言えるだろう。
 これが10年、いや5年前だったら、ここまで厳しい意見にはならなかったのではないだろうか。プロレスラーが総合格闘技には必要とされていたし、プロレスラーが総合に挑戦することにロマンがあった。
 しかし、今やプロレスラーであることが総合格闘技において大した意味を持たないようになった。まあ、それは当たり前のこととも言える。プロレスラーが総合に出たところで、結局のところ戦い方は他の選手たちと大差なく、現実的に言えば、プロレスの技術ではなくて、柔術やボクシングなど格闘技の技術で戦っている。セコンドには格闘技ジムの選手が付いているし、バックドロップやジャーマンスープレックスで試合が決まることもない(ゼロではないが)。プロレスラーが格闘技をしているのではなくて、プロレス出身の格闘家がそこにいるだけになってしまっているからだ。
 そして、一番大きく変わりつつあるのが、存在感・キャラクターだけでは通用しなくなってきた部分。今や実力が伴わなければ、いくらキャラが立っていたり、独特の存在感を発揮できたとしても、無意味になりつつある。それらは強さがあってこそ光るもの。そういう考えが起こるのは総合格闘技が競技として成熟していく過程において、当然のことだと思う。
 柴田について話を戻そう。柴田を評価する人はそのギラギラとした存在感やプロレスラーとして雰囲気を指摘することが多い。だが、そんな声はもしかすると、柴田にとって重荷なのではないか、そんな風に思えてならない。そんな縛りが全くない状態で、ただ純粋に格闘技と向かい合ってたら、まったく違った景色が柴田の前には広がっていたのではないだろうか。
“ソウルメイト”KENTAの話を聞いていると、柴田の考え方とは驚くほど共通点がある。では、なぜKENTAが高く評価され、柴田の評価は安定しないのか?それはKENTAが思想や感情をちゃんとプロレスという競技に落とし込み、それを表現しているのに対して、柴田は何がしたいのか分からず、ただ雰囲気だけしか伝わってこないからだ。
 あと数日で柴田は秋山成勲と対戦する。もちろん格闘技に絶対はないが、柴田が勝つ可能性はほとんどないだろう。HERO’S参戦後の戦績は1勝4敗。期待感もさすがに底を尽き、試合を見るたびにせつなくなるようになってきた。今や仮に秋山に勝つような奇跡が起きたとしても、それが「柴田が強い」には繋がらず、「偶然が起きた」としかとらえられない状況だ。このまま格闘技を続けて、柴田が驚くような成長を見せる可能性もかなり低いと言わざるを得ない。
 だが、そんなこと、柴田本人が分からないわけがない。僕がここで書いてきたようなシビアな意見は、柴田の耳にも入ってきているだろうし、「なにくそ」と思う反面、受け入れなければいけないことだとも分かっているはずだ。
 柴田は来年で30歳。ひとつの区切りを迎える。自分自身の落としどころを決めなければならない。プロレスに戻ったっていい。試合をさせてもらえる場所があるなら今のように格闘技を続けたっていいし、それこそアマチュアレベルから再スタートを切ることだってありだと思う。それは本人が決めることだ。
 末席ながらも格闘技界にへばりついている記者とすれば、総合デビュー後、1勝4敗(しかも負けは全てKOか一本)という戦績の選手に試合をする機会が何度も回ってくるのは、いくら対戦相手のレベルが高いとはいえ、正常だとは思えない(というか、そういうカードが成立してしまう時点でおかしいのだが)。ボクシングでこういう状況になれば、引退勧告なんて話になったっておかしくない。
 だが、そんな全てを前提とした上で柴田を見ると、負ければ負けるほど邪魔なものが削ぎ落ちて、等身大の男になってきているようにも感じるのだ。
 やっぱり柴田が秋山に勝つとは僕には言えない。だが、僕は柴田が負ける姿をちゃんと目に焼き付けようと思うのだ。全てが削ぎ落ち、文字通り裸一貫となったところで、柴田がどんな選択をし、どんな道に進んでいくのか。それを見守っていきたいと思う。




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