第48回 本当の世代闘争

 佐々木健介vsKENTAという対戦カードは、果たしてどのぐらいのインパクトをプロレス界に与えたのだろうか?
「見たい」と思わせるカードではあったと思う。しかし、当日の客入りや雰囲気を考えれば、「どうしても見たい」「生で観戦したいから会場に行こう」というレベルには達していなかった、というのが現実的な評価かもしれない。それをKENTA本人も感じたようだった。
 実際の試合内容にも課題が残ったと思う。個人的に期待していた内容には届かず、想像を超えるような展開も見られなかった。僕がもし10点満点で採点するなら、6点をつける。厳しいと思われるかもしれないが、逆に言うと、それだけ期待度が高かったのだ。名勝負になるという予感もあったし、それこそ年間ベストバウトだって狙えるようなカードだった。僕だけじゃなく、そういう目で見ていたファンも多いだろう。
 実際、武道館で展開されたファイトは決して期待外れではなかったし、悪い試合でもなかった。だが、想像は超えなかった。
 もちろん単純にKENTAが悪かったというわけではない。健介と噛み合わなかったという部分もある。
「健介と小橋のファイトスタイルは似ている」とよく言われるが、実際はかなりの違いがある。小橋は相手の攻撃を受けきるということで自分の強さを表現し、その上でそれを圧倒するような技をぶち込んでいくが、健介はどちらかというと、自ら積極的に攻め込み、それを耐えさせることで自分の力をアピールする。フリーになってから様々な団体・選手から影響を受けているとは言え、やはり新日本育ちだからその根本的な戦い方は小橋と大きく違う。技もシンプルだが、叩き潰すようなものが多い。小橋はどんな選手でもある程度の戦いを展開し、それによって自分の強さをより一層際立たせるような戦い方をするが、健介は余裕をまったく感じさせないぐらいに攻撃を畳み掛けていくから、対戦相手はそれを乗り越えないと本当の意味で戦いが成立しない(もちろん、それが悪いというわけではない)。
 だから、日本武道館で展開された2人の試合は、ある意味、戦いとして成立しないまま終わってしまった。「KENTAが勝つんじゃないか?」と本気で感じられた瞬間が皆無だったのだ。高いレベルを要求しすぎなのかもしれないが、シビアな勝負論がこの戦いにはなかったような気がする。当然、それはKENTA自身も理解していることだろう。そこが今後の課題になってくる。
 小細工無しの真っ向勝負を展開して、ヘビー級の健介を圧倒するのは不可能なことだ。健介には怪我もあるとはいえ、三沢や小橋、田上、秋山、高山といったNOAHで活躍している同世代のヘビー級選手たちよりも、明らかにコンディションがいいし、勢いもある相手だ。そんな選手と正面衝突をして競り勝つには、それこそ顔面にキックを何発もぶち込むとか、パンチでアゴを打ち抜くとか、プロレスという範疇を一歩超えた攻撃をしなければない。しかし、そんな反則になるような強引な仕掛けで生み出されるような勝利をKENTAも求めていないはずだ。
 となると、必然的に必要なものが見えてくる。今は相手の張り手1発に対し、それ以上の気持ちを込めて1発を返すような戦い方をしている。ジュニア内の戦いとして考えれば、それでKENTAを負かせるような選手はプロレス界にもほとんど見当たらない。それぐらいの立場を築いてきた。
 しかし、対ヘビーとなると話は違ってくる。どんなに気持ちを込めようとも超えられない力の差がそこには存在するのだ。となると、勝つためには相手の1発に対して、“2発も3発も打ち返す”ことと、“相手の1発を避ける”ということをしていかなくてはならない。
 それは決して“逃げる”ことではない。攻撃的な防御とでも言えばいいだろうか。そういう柔軟性がなければ健介クラスの選手を相手に勝負はできないだろし、当然丸め込んででも勝つというずるさも必要になってくるだろう。丸藤正道はそういう柔軟性を持った上でヘビー級と対峙しているし、杉浦貴あたりは逆にフィジカル面でヘビー級と戦えるだけのものを身につけることを選んだ。小川良成は丸め込みなどに代表される巧さを突き詰めていってヘビー級で互角以上の戦いをしてきている。ジュニアの体型ながら各団体で暴れ回っている鈴木みのるも、すかす勇気や攻撃的な防御を持っているからこそ、あそこまで活躍できたのだ。
 まあ、ああだこうだ書いてきたが、KENTAはそんなこと全てわかっているのだと思う。なにを捨て、なにを選択していくのかはKENTA自身が決めていくだろう。それだけ意識も高い。
 試合後、コメントブースで、KENTAは最初に期待してくれたファンに謝罪の意を表すと、go 2 sleepと腕極め卍という2つの必殺技が不完全だったことを反省。自ら「勝てるという場面を作り出せなかった」と語り始めた。
 そこで僕は「勝ち負けは抜きにして、納得できる試合でしたか?」と問いかけた。ちょっと意地悪な質問かもしれないが、勝敗に納得がいかないことは分かり切ったこと。では、試合内容に満足しているのか。それが聞きたかった。
 KENTAはまず「気持ちを全部出したつもりではいる」と強調した。それはKENTAのプロレスにとって大前提、基本中の基本だ。さらにコメントは続く。
「今日のお客さんの入りが全てだと思うので。もっと“生で見たいなあ”って思えるような、カードが並んだ時点で“テレビじゃもったいない。生で観戦しないと”と思えるようなものにできなかったのが…。まずその時点で自分に足りないものがあるということなので」
 KENTAはこの日、会場に来た観客に対して精一杯のものは見せたつもりとしながらも、そんな風に語っていた。リング上の戦い、そして、会場のファンとの戦い。それだけではなく、会場に来なかったファンとも戦っていたというのだ。
 もしかすると、そんな考えを持っているKENTAは偉いと思う人がいるかもしれない。しかし、それは微妙に間違っている。選手たちはみんな分かっていて、でも口に出さない。それをKENTAが具体的に言葉して表したことが偉いのだ。
 このコメントは全て自分に跳ね返ってくる。こんな考えを口にしなければ、相手のせい、会社のせい、プロレス界のせいにもできるけれど、KENTAはその責任を自分で背負うつもりなのだ。
 責任感――現在のNOAH新世代(もうこの言い方も正しくないが)について考える上で重要なキーワードだ。数年前までは誰もがとにかく闇雲に上にぶつかっていけば良かった。丸藤&KENTAは名勝負を連発し、プロレス大賞のベストタッグ、さらにはベストバウトまで受賞した。力皇も絶対王者をなぎ倒し、崇高なるベルトを腰に巻いた。出遅れた森嶋もやっとその恵まれた肉体を駆使するようになった。
 しかし、勢いで頂上に立った時、初めて頂点を守る苦しさを、プロレスの難しさを知ることになる。責任に押しつぶされてしまい、「やはりNOAHと言えば、三沢、小橋、秋山だ」という声を覆すことはできなかった。
 だが、それでも時代は動いていく。その他大勢だった選手たちが、いつしかNOAHには不可欠な戦力となり、その下の世代まで育ってきた。
 だからこそ、またここで上の世代とぶつからなくてはならない。くしくもこの日、秋山と激しいシバキ合いを展開したヨネがこんな風に語っていた。
「いつまでも俺たちはあの世代にかき回されたらダメなんですよ」
 以前はとにかく上の世代を倒せばゴールだと思って、無我夢中でぶつかっていくだけだった。でも、これから始まるであろう新たな世代闘争は違う。存在感や期待感、声援、集客力、発言力…そういう形にはならない部分で上回らなくてはならない。しかも、それを成し遂げた上で、同世代同士の戦いでファンを熱狂させなくてはならない。それはとても難しいことだ。KENTAが健介に勝つこと、そういうイメージを感じさせること、それと同じぐらいに。
 森嶋や力皇、丸藤、KENTA…。ヨネもそうだし、杉浦もそうだ。それこそバイソンや鼓太郎だって加えてもいい(本当だったら橋も加わってほしい)。彼らの世代は様々な苦労や苦難を乗り越え、きつい経験から全体を見渡すような余裕を持てるようになってきた。上の世代から直接的な勝利はもうすでにあげている。これからは感覚的な部分で乗り越えて行かなくてはならない。
 彼らがそれを成し遂げることができなかったら、プロレス界の地盤沈下はさらに進み、武道館を満員にするどころか、武道館で試合をすることすらできなくなってしまうだろう。変な話、僕だってプロレス記者として生計を立てられなくなってしまう。もちろんNOAHだけの問題ではないけれど、そのぐらい大きな分岐点に彼らは立たされているのだと思う。
 ただ、風向きは明らかに変わってきている。これは絶対に勝たなければいけない戦いだが、彼らならやってくれるんじゃないか、そんな風にも思えるようになってきたのだ。今年の後半、そして来年にかけての彼らの爆発に期待をしたい。




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