第49回 夏の日の2008

 8月に入って早くも1週間が過ぎた。学生ならば夏休みを満喫している最中で、社会人ならもうすぐお盆休みという時期なのだろうけれど、僕はと言ったらとにかく忙しい毎日を送っている。携わっている4冊の雑誌の校了日が5日おきにやってくるのだ。今週はGスピリッツ(20日発売)の校正作業をしながら、スコラ(25日発売)の取材をしている。プロレスの原稿を読んだら、アイドルの取材をし、音声を文章に起こして、インタビュー記事にまとめ、またプロレスの原稿を読むという生活が連日続いていて、そろそろ夏バテムード。「キレイな女の子に会えるんだからいいじゃん!」という人もいるかと思うが、正直、避暑地にでもいってゆっくりしたい。
 そんな状況なので、当然プロレス会場にはほとんど行けていない。なんとかして見ておきたかったバチバチの『ヤングジェネレーションバトル』2大会のみ会場に行ったが(この時、感じたことは次週改めて書きたいと思う)、あとは新聞や雑誌、携帯サイトをチェックしているだけだ。
 まあ、10代後半からずっとプロレスばかり見てきたのだから、良い意味で小休止を取っているんだと勝手に解釈している。このコラムでも“現場主義”を唱えてきたけれど、逆に今回は一歩引いた目で見て感じたプロレス界の現状について書いてみたい。
 プロレス界の夏と言えば、新日本の『G1クライマックス』が中心となる。その前に、すでに終わってしまっているが、ゼロワンMAXの『火祭り』があって、その後には全日本の両国国技館大会が控えている。NOAHもジュニアタッグリーグを開催し、IGFも両国大会をG1の前日にぶつけてきたが、基本的には火祭り→G1→全日・両国というのが、プロレス界におけるこの夏のメインストーリーになるだろう。
 誰かが火祭り制覇→G1制覇→IWGP王座奪取なんてことを成し遂げると、プロレス界にとっても大きな起爆剤になるのだろうけれど、そううまくはいかない。火祭り王者の田中将斗はG1に出場しないことが決定しており、そんな都合のいい流れは実現しなかった。まあ、それは仕方ないことだと思う。(ただ、田中が倒してきた相手を考えると、新日本のタイトル戦線に絡んでいくのは必然で、武藤が王者という現状があるにせよ、大きな流れを生み出すタイミングを逃してしまうのではないかと危惧してしまうのは僕だけじゃないはずだ)
 ただ、怖いのはちぐはぐな結果が出てしまった場合だ。火祭りは予選脱落→G1は優勝→IWGP奪取失敗、ということになったら、得するのは現王者の武藤敬司ぐらい。それが話題を呼ぶことにつながればいいが、会場も盛り上がらずに観客も集まらなかった、なんてことになったらプロレス界の受けるダメージは致命的ですらあるだろう。
 戦った結果なのだから、どんな結末がやってきても受け入れなければいけないのだけれど、もっとうまくできないものなのだろうか、という疑問を感じずにはいられない。戦うことに必然性を感じられない場合も多いのだ。
 個人的に一番問題に感じるのが、火祭りの位置づけ。内容は毎年平均点以上のものを見せてきているし、それだけの評価や信頼感を得ている。ただ、今年は どんなに否定しようとも、厳しい言い方をすれば『G1の前座』『前煽り』という形になってしまっている。
 よく「火祭りの決勝は後楽園ホールが満員になる」という話を聞く。だが、あくまでも「火祭りの決勝も満員になる」にはなっていない。ここ数年「一番熱い男を決める」リーグ戦からその後に繋がる熱が生まれていないという事実は、もっと問題視されてもいいんじゃないだろうか。
 それは一部報道で話題になった田中の連勝&連覇記録を見ても感じられることだ。極端な話、連勝記録なんていくらでも作れる。数年間、若手とばかりぶつけていれば、何百連勝でも、それこそ何千連勝でも可能だ。つまり「田中が○連勝した」という事象は、逆に言えば「田中に○連勝させてしまった」という意味にもなるのだ。「田中が強かった」のではなく、「周りが弱かった」という言い方をするのはひねくれた意見だと言われるかもしれないが、ある意味、真実をとらえているのではないかと思う。
 一番の原因は外敵でも、田中や大谷でもなく、佐藤耕平や崔領二といった団体を担うべき新世代の突き上げが、うねりを生み出さないことにある。団体内や団体のファン、団体担当の記者が盛り上がっても、そこから壁を突き破るような熱を生んでいないのが現状だ。新日本との抗争が一段落し、火祭りも終わった今、これからが本当の意味で正念場を迎えることになる。今回の火祭りで生み出した熱をどうやって次につなげていくのか、注目したい。
 そして、もう1つ。気になったのは『ハッスルGP』として行われたTAJIRIvs坂田亘戦。まあ、この試合も僕は取材したわけではないので、細かい攻防についてや試合の内容について言えることはない。ただ、その意味づけについては気になることがある。
 ネット上やマスコミの評価を見ていると、「ハッスルがエンターテイメントからプロレスの方に軌道修正した」なんて意見を目にすることが多かった。「ハッスルは真剣な思いを持ってプロレスに取り組もうとしている」と。ただ、僕は「ハッスルとは、やる気になれば他の団体のようなプロレス的名勝負はいくらでも残せるけれど、そんな安易なやり方ではプロレス界に未来はないから、根本的なフォーマットを変えようとするムーブメント」だと思っている。高田総統が言うところの「プロレス界を根こそぎぶち壊す」ということだ。だから、今回の試合はあくまでも「俺たちだってそういうことをやろうと思えばできるんだよ」という意味合いでなくてはいけない。
 本当に一般的なプロレスの方向に進んでいくのなら、ハッスルはハッスルでなくなってしまうような気がする。だいたいエンターテイメントの中にプロレスとしての名勝負を内包できれば一番いいのだ。大物芸能人が出てきて、サプライズやスキットもあって、なおかつ好試合をすればいい。これがエンターテイメントを削ってまでも、プロレス的要素を強めていったら、ハッスルは負けを認めたようなものだ。高田総統のプロレス界侵攻は失敗に終わったことになる。
 選手側も団体側も、そしてマスコミも、「エンターテイメントか?プロレスか?」なんて二次元論で話を進めている場合じゃない。だいたいプロレスという言葉はもっと広い意味をもっているはずだ。「エンターテイメント」という言葉と「プロレス」という言葉を隠れ蓑にしながら交互に使って、うまくやりくりして、逆風をやり過ごしているように見えるのは僕だけだろうか。
 今のプロレス界はその場凌ぎの対応や、美辞麗句を並べるだけではどうにもならない状況に来ている。結局、盛り上がっているのはちゃんとした考えや方向性を持って取り組んで、ファンよりも先を行っている団体で、逆に波に乗れないところは、とにかくその場だけの盛り上がりを追求している団体のように思う。まあ、これはプロレスに限らず、テレビ業界や、それこそ出版業界にも当てはまることだ。自戒の意味も込めて、「もっと真剣に取り組もうよ」と最後に書いておきたい。




<<Back  Next>>
[終了]村上謙三久の『ファン上がり記者』トップ
(C)辰巳出版