第50回 バチバチについて考えてみた

 このコラムで何度かバチバチについて書いてきたが、見れば見るほどわけが分からなくなっているのが僕の素直な感想だ。なんでこんなことを今の時代にする必要があるのだろう。そんな風に思えてならない。そんな疑問をバチバチを立ち上げた池田大輔本人にぶつけながら、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせてみた。今回は自分の頭の中でそれを整理しながら、文章にしてみたいと思う。
 池田大輔は「一般にバチバチを説明する時に“プロレスだ”と言うと怪訝な顔をされて、反対にプロレス界では“バチバチはプロレスじゃない”と言われる」と苦笑していたが、その言葉は今のバチバチが置かれている状況を端的に表しているだろう。
 なにかと問われれば『プロレス』という表現がしっくりくるが、ちょっと『プロレス』の範疇からはみ出ていて、かといって『格闘技』とは違う。実際に自分の目で見てみれば、その凄みは理解できるけれど、言葉で説明しろと言われたら困ってしまう。どうにもこうにも伝えにくいのが、バチバチというスタイルだ。
 池田の心の中にあるのはストロングスタイルだ。しかも新日本プロレスが使い古してきたものではなく、アントニオ猪木が最初に打ち出した原理的なストロングスタイル。『闘い』とか『ケンカ』という言葉がピッタリとくるようなシンプルな戦いを目指している。藤原組でデビューし、バトラーツから全日本、NOAHと彷徨ってきた池田が辿り着いたのだが、自分がファンとして見ていた頃の新日本(他に例えるなら旧UWFや初期バトラーツ)だったというのは意外な感じもするが、なぜそういう気持ちになったのかは分かるような気がする。
 アントニオ猪木は今のプロレスに失望しているとよく聞く。「闘いがない。怒りが足りない」と何度も連呼してきた。それを年寄りの戯言と片付けてしまうのは簡単だし、ある意味、そういう風に片付ける方が正しいような気もするが、猪木の言葉が根本的にすべて間違っているのかというと、そうでもない。確かにプロレスには戦いがなくなっているし、感情もなくなってきている。
 猪木が異種格闘技戦に挑んでいた頃のプロレス界と今のプロレス界を比べるとなると、あまりにもかけ離れすぎてピンと来ない部分があるから、例えば90年代前半のプロレスと今現在のプロレスを比べてみて欲しい。表面的にはそれほど変わっていないし、今でも変わらず活躍しているレスラーも多い。ただ、やはり欠落してしまったものを感じずにはいられない。それはやはり、「闘い」や「怒り」だ。
 ここ数年、初代タイガーマスクとしてリングに上がるようになった佐山聡の口からも、ことあるごとに現在のプロレス界に対する警鐘の言葉が出てくる。これだって「佐山自体が動けてない」なんて斬り捨てることだってできる。だが、「今のはプロレスじゃない」とまで言われて、言い返す言葉がないのも事実だ。なぜなら僕がプロレスを見始めた根本的な理由も、闘いや気持ちが見たいからだから。
 プロレスはうまく技を受け流してダメージを軽減させたり、逆に一見無駄にも見えるような魅せる要素を入れて観客にアピールしたりすることを否定していない。しかし、今はプロレスの曖昧な魅力の1つだったそういう要素が逆に強まりつつある。
 だが、バチバチは違う。パンチも蹴りも容赦ない。逆水平チョップを打つなら、手刀を作って最後まで振り抜くし、キックを食らうなら、受け身を取って切り抜けるのではなく、絶対に倒れない意地を見せようとする。一発の重みを復活させることによって、失われた緊張感を取り戻そうとしている。単純にバチバチだけがそれを打ち出しているわけではもちろんないが、こういうスタイルがプロレス界に叩きつけている命題は意外なほど重い。
 総合格闘技が認知されるようになり、以前はプロレスに求められていたものが格闘技に移行していったという部分は少なからずあるだろうし、ファン気質の変化も影響している。だが、エンターテイメント性が高まり、技のスピード感や華麗さばかりが先行している今、このままプロレス界がこの道を突き進んでいった先に、かつてのような隆盛があるのかと聞かれたら、僕は素直にYESとは言えない。
 実はGスピリッツという雑誌が取り組んでいるのも、同じ命題なのだ。今のプロレスが悪いわけじゃない。でも、今のプロレスがベストじゃないのも確かだ。エンターテイメントに針を振るとしても、そこに闘いや気持ちがなければ観客の気持ちを動かすことはできない。プロレスはどこに向かうべきなのか。もちろん選手や団体が考えていくことなのだが、マスコミもそういうテーマと向き合うべきだと僕は思う。
 まあ、色々と思うところを書いてきたが、もうすぐ30歳を迎えようとしている僕と、それより上の世代のプロレスに関する感覚はやはり違っていて、池田大輔という人がやりたいことを完璧に理解できないのも事実だ。僕の中ではプロレスと格闘技は切り離して考えて、どっちかを選ぶ方がしっくりくるけれど、馬場・猪木や“俺たちの時代”世代、UWFを見てきた人たちは、どこかでプロレスと格闘技のボーダーラインを突くような存在を求めている部分がある。
 池田は「バチバチをプロレスや格闘技と並ぶ3つ目のジャンルにしたい」と言っていた。壮大すぎるロマンのような気もするし、実際のところ若い選手にはなかなか感覚を理解してもらえないとぼやいていたが、かつてプロレスに熱狂していた世代にすると、池田の心の叫びが理解できるのかもしれない。本人もプロレスから離れていった人にこそバチバチを見て欲しいと語っていた。今は川崎でしか見ることのできないあの原始的な戦いを、僕もそういう世代のファンにこそ見てもらいたいと思う。




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