第52回 中途半端で開き直れない男

『空回り』『微妙』『必死』『失笑』『コミカル』『グダグダ』『Tバック』『緩慢』……。僕の取材ノートにはこんな言葉が雑然と並んでいる。橋誠の復帰戦はこの言葉たちの通り、なんとも表現しがたい試合になってしまった。
 この日(8月23日後楽園ホール大会)はジュニアタッグリーグの開幕戦。第1試合から第4試合までは公式戦がズラリと並んでいた。橋の復帰戦はその直後の第5試合。ましてや休憩時間がない興行で、しかも直前の第4試合は30分時間切れ引き分けに終わっている。その試合が終わった時点でトイレやタバコを吸いに行く人も多く、会場内もリーグ戦独特の緊張感から解放されて、やや散漫な雰囲気だった。
 ヒザの負傷明けの復帰戦だった。欠場は9ヵ月間にも及ぶ。05年から06年の間もヒザの負傷による長期欠場を強いられており、それ以前にもヒザを痛めたことがある。もう一度負傷するようなことがあれば、選手生命にも関わってくるだろう。そのぐらい今回の復帰は重たい決意に満ちたもののはずだ。だが、その気持ちが観客には伝わらなかった。
 橋自身はなんとかしようとしていたと思う。白GHC王者の川畑輝鎮に対して執拗に挑発し、田上には急所攻撃まで仕掛けていた。しかし、その急所攻撃がキッカケになって、田上の反撃よりコミカルな方向に進んでしまい、橋はタイツを掴まれてTバックにされ、失笑が起こる場面も。パートナーである佐野巧真のアシストを得て、ダイビングヘッドを落としてチャンスを掴んだが、最後は川畑に競り負け敗退。試合後にはアックスボンバーまで食らってしまった。

 橋の気持ちと観客の気持ちの間にある温度差。それが如実に見て取れる試合だった。それは試合後の橋のコメントからも伝わってくる。

「改めて考えれば、試合の動きは半分以下の仕上がりでしたけどね。動きが固いですし。でも、気持ちの中では結構テンションを上げられたと思うんで。さっき言ったように、川畑輝鎮の一撃もキッチリ覚えてますからね。それを覚えている余裕もあるんで。わけが分からないうちにやられたよりも記憶がハッキリしているだけ腹が立つんですけど、それはリング上でキッチリ返しますよ」

 観客が橋に期待していたのは「余裕がある」ことではない。「余裕がないところまで自分を出し切る」ことだ。「キッチリ覚えている」ことではなく、その場で「キッチリ返す」ことだ。そういう意識はやはり同世代のNOAH選手と比べても決定的に欠けているような気がする。
 例えばこんなコメントからもそれが分かる。

「焦りはありますけどね。ただ、それを“焦ってます”って口にするだけじゃ全然面白くないんで。やっぱり言葉よりも試合で表現したいというか。口べたなんでね。その辺は勝てない。いいんです、口で負けても試合で勝てば。まあ、結果を残していきますよ」

 確かに橋の言っていることは間違いではない。ただ、本当に口で勝負しないのなら、一言も喋るべきじゃないのだ。そして、コメントできないほど全力を出し尽くした橋をファンもみたいはずなのだ。

「僕は中途半端な体重なんで。100キロそこそこなんで、いつでもヘビーに行けますし、いつでもジュニアに行けますし。このぐらい中途半端な人間でも僕ぐらいじゃないですか?中途半端って言い方は悪いですけど、どっちにも絞れるというのは、ある意味、それをプラスに取らないと。ヘビー級では確かに小さいですし、キツイものがありますけどね。ジュニアに行けば、みんな動きが速いし(苦笑)。どっちいっていいのかなというのがありますけど。どっちも苦戦を強いられるんですけど、それはそれで楽しいですよ。楽しいと思っている限りはまだいけるんじゃないかなと思って」

 現実はシビアだ。今、ジュニアの中に入っても、石森太二や青木篤志より位置的には少し下で、それこそ平柳玄藩や伊藤旭彦と同格というのがいいところだろう。ヘビー級ならば勝てる相手がなかなか見つからないぐらいの状況だ。どっちがどうとか言っている場合じゃない。ハッキリ言って体重なんて関係ないのだ。そういう括りを無視したような、無鉄砲で無茶苦茶な戦いをしてほしい。

 橋は自分の中に悲壮な思いを沢山抱え込んでいる。
「こんなもんじゃない」
「おいしいところを取っていく」
「いつでも成り上がるつもり」
「絶対に何かしらの形を残す」
 コメントの中に出て来た数々の発言はその表れなのだと思う。そうやって自らを言葉で鼓舞して、追い込みをかけていくのはいかにも橋らしい。
 橋の試合を取材しながら、観客の反応に耳を傾けていると、温かい声援もあれば、厳しい野次もあったが、微妙な空気の中でも、一部のファンはやはり橋の戦う姿勢がどうしても気になってしまっているのが伝わってきた。
 橋の試合は、どこか滑稽だし、いい加減見放したくもなるけれど、どこまでも等身大で、やはり人の心を打つパワーがある。それはNOAHの誰にも負けない魅力だと僕が勝手に太鼓判を押そう。だからこそもう一歩踏み出して欲しい。
 橋がコメントを出している時、手首に付けられたサポーターが目に入った。そこには『獣道』という言葉が刻まれていた。
 他の選手が表の華やかな道を進むならば、俺は獣道を進んでやる――そんな決意から背負い始めたこの言葉の意味を今一度考えなければならない。

「周りに中途半端なヤツがいたら埋もれちゃいますけど、ハードルの高いNOAHの中で、唯一中途半端なのは僕ぐらいなんで(苦笑)。それを良い意味に取らないと。そう取れるか、取れないかで変わってくるんで。(開き直ったのか?という質問を受けて)開き直るというのは悪いものを認めた上でじゃないですか。別に悪いと思ってないので」

 この言葉に橋の今後に向けた姿勢が示されている。これが橋なりに考えた自分の価値観なのだろう。だが、“中途半端で開き直れない”ことを個性にする前にしなければいけないのが、丸藤やKENTAといった同世代の人間たちと根本的な部分で肩を並べることだ。
 僕がかつて丸藤に話を聞いていた時、ふとしたことから橋の話題になったことがある。その時、強烈な印象として残っているのは、「橋とは一緒にして欲しくない」という凄まじいほどの自負。具体的な言葉としては口にしていないが、そういう自信が言葉の端々から伝わってきたのだ。当時、橋は合宿所組と一緒には練習せず、秋山と共に自分だけでトレーニングを重ねていたが、内容に絶対的な差があるように僕にも感じられた。当然そういう意識は練習だけでなく、試合内容や普段の言動や佇まいという部分についても言えるはず。NOAHを背負うという意識、俺が中心に行くんだという意識、先輩レスラーを乗り越えようという意識。そういう考えが同世代の選手と橋では決定的に違うのではないだろうか。
 だから、まずはレスラーの根本的な部分となる“練習”から変えるべきなんじゃないかと僕は思う。若手たちに混じって自分を追い込み、肉体的に変わったというのをファンに印象づける。それはちょっとした変化だったとしても、大きな一歩になるはずだ。そうすることで、初めてスタートラインに立つことができ、“中途半端で開き直れない”部分が強みとして成立する。同じラインに立ったことで感じる嫉妬や激情は必ず試合にも影響し、観客をも巻き込む熱を生み出すだろう。
 そういう意味では、橋誠というレスラーはまだ始まってもないのだ。獣道にも入れていない。レスラー生活10周年でそれはどうなんだと言われるかもしれない。ただ、今はどうであれ、これまでベルトに挑んでいく前には凄まじいほどの決意を持って自分を追い込んでいたはずなのだ。中途半端と自ら揶揄するのも、開き直らないと言い張るのも悪くはない。でも、まずその前にできることが沢山ある。原点回帰。そこから獣道が始まるのだ。




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