[終了]みんなのプロレス検定ドリル

【Q236】
 1984年4月、全日本プロレスで『初代PWF世界タッグ王者決定リーグ戦』が開催され、ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニアは最終戦で敗退。優勝を逃した上、馬場は首を負傷し、連続試合出場記録が3711でストップしてしまった。初代PWF世界タッグ王者となり、馬場を欠場に追い込んだコンビとは?

【Q237】
 1987年4月の下関大会で、前田日明が新日本プロレス復帰後、初のフォール負けを喫する。敗れた技は首固め。勢いに乗る前田の足下をすくったそのテクニシャンは誰?ヒントはガイジン選手。

【Q238】
 1992年10月、大仁田厚がある連続ドラマのメインゲストに大抜擢。任侠の道に生きる無骨な男の姿を好演し、高い評価を受けた。テレビ朝日系列で放送され、柴田恭兵が主演を務めたそのドラマとは?

【Q239】
 1999年3月14日、UFO横浜アリーナ大会で、小川直也がダン・スバーンを撃破。第3代NWA世界ヘビー級王者となった。レフェリーを務めたドリー・ファンク・ジュニアは、荒れ模様を予想してか、ある小道具を用意。小川の暴走を食い止めることに役だった、その小道具とはなに?

【Q240】
 キャメル・クラッチを日本で初公開したのは、1969年2月に初来日したネルソン・ロイヤルだと言われている。では、ザ・シークが“キャメル・クラッチ”という名を浸透させる前に、この技はなんと呼ばれていた?ちなみに、ネルソンの出身地にちなんだ名称。

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【A236】ブルーザー・ブロディ&スタン・ハンセン
【A237】クラッシャー・バンバン・ビガロ
【A238】往診ドクター事件カルテ
【A239】ホイッスル
【A240】テキサス・ブロンコ・バックブリーカー




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