第30回 あすなろ戦士

 四天王時代の全日本プロレスは若手選手が着実にデビューしていた時期でもあった。
 小橋や田上、菊地が1988年にデビューしたが、その後は若手選手が育たず(折原はSWSに移籍)、活気がない状況だった。しかし、91年に浅子覚と井上雅央がデビューすると、翌年には泉田準、秋山準、大森隆男がそれぞれデビュー。93年は本田多聞、94年は志賀賢太郎とマウナケア・モスマン(現・太陽ケア)、96年は金丸義信と立て続けに若手選手が増えていった。
 当時一ファンだった僕からすると、自分を重ねる相手は川田や小橋といった中心選手で、それより下はまるで自分より年下のような感覚でしかなかった。98年には森嶋猛や橋誠、丸藤正道など自分と同世代の選手もデビューすることになるが、この3人に関して同じ世代という認識を持つようになったのは記者になってからのこと。これは他の分野にも言えることだと思うが、自分よりも年上の人を応援している分、妙なズレが生まれていたのかもしれない。
 やはり中心にいたのは秋山だった。すぐに先輩の3人を事実上追い抜き、小橋の下に位置するところまで浮上していく。秋山に対するジェラシーというのが、当時のあすなろ戦士たちにあった1つのテーマだったかもしれない。
 それを爆発させることができなかったのが大森だろう。秋山のアジアタッグ戦線におけるパートナーを務めており、全日本プロレスという会社としてもライバルとして成長して欲しいという願望がマッチメイクにも垣間見えたが、順風満々に成長するという形にはならなかった。あまりにも秋山全ての面で出来すぎていたこと、そして大森のリング上におけるスタイルと本人自身の性格にギャップがあったことが原因のような気がする。2人が並び立つようになるまではかなりの時間がかかったし、本当の意味でライバルにならないまま大森が袂を分かつ形になってしまったのは、今になって考えると残念な気がしてならない。
 雅央や多聞は逆に秋山へのライバル心をうまく表現できなかったタイプだ。雅央は先輩だけに嫉妬心はかなりのものだったと思うが、それを表面に出して戦うようなスタイルでは当時からなかったし、多聞に関しては秋山と同様に早い段階から上位陣と戦っていたのが影響しているのだろう。
 僕の印象として、秋山に目に見える形でライバル心をぶつかっていたのは意外にも泉田だ。もともとはファミリー軍団vs悪役商会という定番カードの中で扱われることが多かっただけに、難しい立場だったはずだが、秋山と対戦した際には、結果的に敗れてしまっても、お客さんからは大きな拍手を起こすことが多かったような気がする。
 実際に秋山のライバルとして成立したのは、ノーフィアーになってからの高山や大森、さらには新日本の永田裕志といった第3世代のトップグループだった。それ以外となると、小橋や田上といった上の世代になってしまう。
 もし、秋山の横に絶対的なライバルがいたら、たぶん今のプロレス界における第三世代の枠組みはまったく違うものになっていただろう。ただ、そうだとしても、大森や多聞、泉田たち当時のあすなろ戦士たちは秋山がいたからこそ現在の活躍があるというのも間違いない。
 当時の期待感と現状を比べると、正直、予想通りのレスラーに育ったとは言えない部分がある。ただ、ベテランと呼ばれる年代に足を踏み入れた今、これからこそ大きな活躍を見せて欲しい。確かにベテランであることは間違いないが、まだまだ頑張れる世代のはず。あの頃のあすなろ戦士たちがしっかりと根を張って檜になるのはこれからなのもしれない。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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