第31回 小川良成の戦い

 四天王時代と呼ばれる90年代の全日本プロレスで今ひとつジュニア戦線が注目されていなかったことは以前にこのコラムでも書いた。ライバル団体の新日本が獣神サンダー・ライガーを中心に華やかなファイトを繰り広げ、さらに団体対抗戦まで仕掛けて大きな話題を呼んでいたのに対し、全日本ジュニアはどこまでも地味だったのがその大きな理由だろう。後半になると、ロブ・ヴァン・ダムが参戦するようになり、空中戦も増えてきたが、それでも最後まで世界ジュニア戦線は華麗な戦いとは言えなかった。
 中心にどっしり構えていたのが渕正信で、その壁に何度もぶつかっていった2番手が菊地毅なら、小川は遅れてきた3番手というところだった。NOAHからプロレスを見始めた人からすると驚くかもしれないが、小川が先輩なのにも関わらず、当初は菊地の方が圧倒的に注目を浴びていた。
 もちろんそれはファイトスタイルの違いという側面もある。菊地のヘビー級であろうと、外国人選手であろうと真っ正面からぶつかっていく突貫ファイトは、勝利に繋がらなくても目立ちやすいし、人の心を打つ。反対に当時から気持ちを無理に出そうとはせず、ポーカーフェイスだった小川は、テクニックという部分でもベテランが多かったため大きな売りにはならず、鶴田軍や聖鬼軍に所属しても人気を呼ぶようなことはなかった。若手時代から怪我が多く、なかなか浮上するキッカケが掴めず、6人タッグの3番手や前座戦線が活躍の場で、主役になるようなことはなかった。
 だから、世界ジュニアのベルトを巻いたのは菊地より先になったのはかなり意外だった。圧倒的な実力と安定感を誇った渕正信を破って5度の防衛を果たし、長期政権を築くかと思われていたダニー・クロファットから丸め込みとは言え、3カウントを奪った時は、武道館が沸き返った。当時の小川らしく地味な入場テーマだった『Never Give Me Up』のボーカル入りヴァージョンが流されたのが記憶に残っている。
 その後もあくまでもジュニアヘビーとして活動していた小川だったが、秋山から3カウントを奪ったことで急浮上することになり、そこから三沢とのタッグ結成へと繋がっていく。NOAHに入ってからはGHCヘビーとGHCタッグを戴冠。昔ほど階級という括りがきつくなく、形骸化しているとはいえ、それでも日本のメジャー団体のヘビー級のベルトをジュニアながら巻いている選手は小川以外ほぼ皆無だ。
 僕がプロレスを見始めた1992年、小川はすでにデビュー7年目だったのに、まったくと言っていいほど目立っていなかった。それが、長い年月を経て、ヘビー級と渡り合うだけの選手に成長したのは、小川が見えない部分で研究し、トレーニングを重ねてきた成果なのだろう。自分より年下のライバルたちに対するジェラシーや怪我が続いた絶望、それでも折れなかったプライドあたりをテーマにして、改めてGスピリッツらしい切り口でインタビューをしたら面白い内容になるかもしれない。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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