第34回 三沢と川田と当時の僕(23)

 どんな大怪我を負おうとも欠場することを拒み続け、最前線で戦ってきた三沢光晴は、川田利明との三冠戦で敗れたのをきっかけに、長期欠場に突入した。ドーム直後の『99’スーパーパワー・シリーズ』はもちろん全戦欠場となったが、実に三沢がシリーズを全休するのは9年ぶりのこと。過激になる一方の全日本マットにおいて、ガラスのエースとまで揶揄されていた三沢だったが、現実的には短期的にしか休むことなく、文字通り命を削って戦い続けてきたのだ。身体は完全にパンクし、左ヒザを手術することに。しばらくはヒザだけでなく、首やヒジなどのオーバーホールに集中することになった。
 三沢が9年間欠場していないということは、新三冠王者となった川田とって三沢不在のシリーズを9年ぶりに味わうということになる。ましてや2人の団体内の地位や存在感も比べものにならないほど大きなものになっていたのだから、そのプレッシャーはかなりのものだった。もちろん三沢が背負っていた重責は小橋健太や田上明、秋山準たちにものし掛かるが、責任感という意味で川田に悲壮なほどの気負いがあったのは否定できない。
「少しでも三沢さんに近づけるように頑張りたい」
「三沢さんは安心して治療に専念して欲しい」
 川田の口からそんな言葉が聞かれれば聞かれるほど、一ファンだった僕はどこかしっくり来ない気がしてならなかった。 
 五冠王。全日本のエース。川田利明という名前に冠を付けるとすれば、この時ならそんな言葉が並んでいたであろうが、それは三沢の時のような絶対的なものではなく、あくまでも暫定的だった。
 なんとなく立ち止まったままの川田に向かって、一心不乱に突撃してきたのが他ならぬ小橋だった。この年のチャンピオン・カーニバルに不退転の決意で臨みながらも、決勝進出すらできず、悩み続けていた小橋にとって、三冠挑戦決定は単純に朗報とは言えなかった。それでも三沢不在のタイミングだからこそ「自分の力で全日本を変えたい」というモチベーションは高かった。三沢を越えることが目標だった川田よりも、世代交代へ向けて熱い情熱を隠すことなく発散していた小橋の方が意識自体は高かったのかもしれない。
 前哨戦というには意味が大きすぎる世界タッグ選手権(川田&田上vs小橋&エース)は川田組が防衛に成功。しかし、試合後、川田は「追い詰められる立場がどれだけキツイか分かったような気がする…」と苦しげな表情を覗かせていた。
 そして、次なる舞台は武道館。小橋との決戦がやってくる。そこで待ち受けていたのは、小橋による『新世代宣言』だった。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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