第39回 2008年の四天王プロレス

 四天王プロレスというスタイルは全日本内のみならず、他団体にも大きな影響を与えた。例えばインディー。新生FMWは明らかに四天王の影響が感じられたし、最近でもDDTなどのタイトル戦を見ると、これでもかとカウント2.9を繰り返す部分にはその残影が見て取れる。デスマッチをやるような団体でも、最終的にはカウント3ギリギリを争う攻防が多いし、女子プロレスに至っては「これは四天王プロレスの劣勢コピーだ」と感じてしまうことすらある。WWEを見ていても、最近は少しずつ昔に戻そうという動きが感じられるが、一時期は過剰なほど大技を出し合う場面がよく見られた。
 当然、大技を繰り出し合うという部分で言えば、スタイル的に近い90年代の新日本ジュニアの影響もそれぞれにはあるだろうが、2008年現在、日本中のプロレスがほぼ王道系プロレスになった(なってしまった)と言っても過言ではないだろう。少なくとも今の新日本は、ストロングスタイルよりも四天王プロレスに近いスタイルになってきているし(良い部分、悪い部分があるが)、全体的に見て“強さ”よりも“巧さ”を重視するプロレスになってきているのは誰の目から見ても明らか。総合格闘技の隆盛により「プロレスこそ最強の格闘技」という思想が崩壊してしまった今、価値観の比重が変わるのは当然と言えば当然だが、結果的にはストロングスタイルが形骸化し、王道プロレスが全てを飲み込んだというのは興味深い現象だ。
 もちろん、それで王道プロレスがストロングスタイルよりも素晴らしい……もっと踏み込んで言えば、ジャイアント馬場のプロレスがアントニオ猪木のプロレスよりも素晴らしいと簡単に断言できるわけではなく、だからこそ余計に今のプロレス界はのっぴきならない状況になってしまっているとも言える。全てが王道スタイルになったと言っても、当然功と罪があって、プロレスの振り幅という意味では物凄く狭まってきていると感じているファンも多いのではないだろうか。
 単純に盛り上がるからそういう戦い方をしているという部分もあるだろう。これでもかと必殺技や得意技を出し合う消耗戦は観客の興奮を生む。ただ、90年代から危惧されていた“このまま進化していったらどうなってしまうのか?”という予感通り、危険度が増し、攻防が高度になっていくにつれ、逆に観客に伝わりにくいというパラドックスが生まれるようになり、一見のファンには理解できないという弊害も出てきた。なにより選手の気持ちが見えにくくなってしまったのが一番問題となっている部分だろう。
 このコーナーで僕がずっと訴えてきたのは、“四天王プロレスは気持ちのプロレス”ということだ。しかし、時代的な背景やプロレスファンの目、レスラーの意識から考えても、今、それを継続的に見せるのは難しくなってきている。高度になり進化したことで、感情という大きな部分が抜け落ちてしまった。激しい攻防を見ても、なんとなく物足りなくなってしまい、試合にのめり込んでいけないのも、そこに気持ちが見えなくなってしまったからだ。
 エプロンから場外に落とす断崖技は“これを出さないと勝てない”という気持ちが乗っていなければいけないし、危険な垂直落下技も“そこまでしないと相手から3カウントは奪えない”という悲壮なほどの決意がなければ意味がない。それが試合を構成するただの1シーンであったり、当たり前のように見せる必殺技であってはいけないのだ。
 そういうプロレスを見て、それに憧れてきた今の若い選手とすれば、「じゃあ、どうすればいいの?」というのが素直な意見かもしれない。みんな次のステップを見つけられずに、右往左往しているようにも見える。UWFやデスマッチという極端なスタイルもすでにやり尽くされ、新しい価値観をそう簡単には見出せない時代に、最前線で戦う苦労は相当なものがあるんじゃないか……森嶋の初防衛戦を見ていて、そんな風に思った。
「昔の方が良かった」――プロレスの歴史を紐解けば、ほんのわずかな期間かもしれないが、誰だってそういう風に感じられる戦いはある。ただ、「昔のスタイルに戻そう」と言っても、それは現実的に不可能だ。今、UWFを見せたって当時と同じ反響を受けることはないし、大仁田厚が展開したデスマッチだって、今の戦いから比べると、大して過激ではないありふれたデスマッチに見えてしまう。
 スタイル論を展開しても、結局はそこにカリスマ性や時代を貫くような魅力を持った選手がいるかどうかという根本的な問題にぶち当たるような気もするが、これから先の5年、10年という年月の間に、なにかしら違うものを見つけ、提示していくことは絶対的に必要なことだと思う。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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