第40回 三沢と川田と当時の僕(27)

 99年1月22日、大阪府立体育会館。なぜ僕が強引に時間とお金を作ってまで、この日行われた三沢光晴vs川田利明の三冠戦を現地まで観に行ったのか。今になって振り返ると、様々な心情があったように思う。
 まず川田が半年以上もノーコメントを貫いていたこと。そこには何かの意味があるのは当然で、それをリング上で発揮するのは三沢戦以外ないだろうという気持ちがあった。そして、当時の感覚を直接的に表現するならば、僕が見たいと思う三沢vs川田を見られる機会はもうあまりないのではないかという危惧もあった。
 全日本プロレスには大きな変化が起きていたが、僕としては自分が見たいと思うプロレスから少しずつ変わっていってしまっているような印象があった。それはあくまでも今にして思えばであって、当時の気持ちとしてはそこまで具体的には考えていなかったが、三冠戦やトップ選手同士のシングルマッチを見ていても、「なんだか気持ちが見えてこなくなった」「このシングルってもっと面白くなかったかな?」なんて感じることが多くなっていた。その感覚自体は正しいことのようにも思うし、逆にプロレスをあまりにも観戦してしまったため、単純に飽きてしまっただけのような気もする。たぶんどちらも含まれていたのだろう。
 大阪の地で見た三沢vs川田は想像を絶するほど激しい戦いとなった。僕はこの2人のベストバウトとして94年6月3日の日本武道館で行われた試合をいつも挙げているが、もう1試合選ぶとすればこの試合を選ぶだろう。後半戦で飛び出した“三冠パワーボム”ばかりが強調されているが、全体的に見ても三沢と川田の感情はいい意味でスパークしていたし、2人の戦いがまた新しいステージへ突入したと感じさせられる内容だった。なにより、その頃は「また見てみたい」なんて思う試合が少なくなってしまっていた僕が「まだこの2人のシングルを見たい」と強く感じたのが未だに印象として残っている。もしかすると、ある意味、この試合で四天王プロレスと呼ばれる戦いは完成し、終わってしまったのかもしれないと今になってみて思う。
 勝者となり、三冠王座を取り戻した川田だったが、この試合で大きな代償を手にしてしまった。それは右腕の尺骨骨折。全治3ヵ月の重傷だった。
 当時のプロレス界は橋本戦での小川の凶行やPRIDE隆盛の兆候、WWFブーム、ドラゴンゲートの逆上陸と話題に事欠かず、なにかと騒がしくて、後にネットやモバイルサイトの普及によって生じる過剰なほどの情報化を予感させる状況だった。
 そんな中で全日本プロレスはどこに向かおうとしているのか。なかなか答えが見いだせない時に、ショッキングなニュースが飛び込んできた。ジャイアント馬場、永眠という衝撃的なニュースが――。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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