第43回 大森隆男はこんなもんじゃない

 四天王時代の全日本プロレスにおいて、大森隆男は重要な位置にいた。三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太に続く5番目の男が秋山準ならば、その秋山の次に続くのは大森だと目されていたからだ。
 大森はある意味、デビュー直後からファンの期待感と戦ってきた。秋山とは同い年(1週間しか誕生日が違わない)、デビューも1ヵ月違い(秋山が早い)で、なにかと比べられる存在だったことが、大森のレスラー生活に大きな影響を及ぼしている。
 秋山はジャイアント馬場やジャンボ鶴田の英才教育を受け、早い段階から全日本プロレスの時代を担うエース候補だと思われていた。実際に“超新星”という当時のニックネームからも分かる通り、秋山は凄まじいスピードで実績を積み重ねていたし、ファンも「秋山こそが未来の全日本を引っ張るエースだ」と信じていた。大森も端正なルックスとフィジカル的な才能を見込まれ、期待をかけられていたが、その期待というのは“秋山のライバル”という立ち位置だった。「大森のライバルは秋山」ではなく、あくまでも「秋山のライバルは大森」。秋山が自分のスタイルというものを作り出していくならば、大森はまったく違う価値観を選ばなければならなかったのだ。新人時代の大森に与えられた『ヤングパンサー』。キレイなプロレスをする秋山に対し、大森は荒々しいファイトを見せるようになっていく。
 そこに大森の意志がどれだけ存在していたのか、今となっては分からない。あまり器用な試合運びをできない大森にとっては必然的だったような気もするが、もっと違う可能性はこの時点で確かにあった。
 印象的な出来事がある。場所は日本武道館。マイティ井上とのシングルマッチだった。大森は得意のダイビングエルボードロップを落としたが、この技でマイティが完全に失神状態に。不足の事態に完全に気が動転してしまった大森は、その後、もう一発エルボードロップを落として勝利したが、対戦相手が失神するという状況に戸惑いを隠せなかった大森に、僕は気の良さを見てしまった。プロレスは相手を叩きのめす競技だが、傷つける競技ではない。たしかにそれはそうなのだけれど、相手の立場や状況なんて無視してガンガンいくことを求められていた大森にとって、その優しさは明らかに邪魔だったのだ。
 大森の横には常にファンの期待とそれ以上の失望、そして、自分に対する迷いがあった。必殺技もなかなか定まらず、ダイビングエルボー、ネックブリーカードロップ、ジャンピングDDT、ダイビングニーなど迷走を続けていたし、スタン・ハンセンとタッグを組んだ時にも「世界タッグ挑戦ぐらいは可能なのではないか?」という期待に応えられず、伸び悩む日が続いた。秋山とアジアタッグ王座を戴冠し、防衛を続けても、最後まで秋山&大森という格付けは変わらなかった。
 結局、大森がレスラーとしてジャンプアップを果たすのは、アックスボンバーを必殺技とし、高山善廣とのコンビ『ノー・フィアー』で世界タッグ王座を戴冠した1999年〜2000年頃のことだ。チャンピオン・カーニバル準優勝という実績を掴んだ矢先に、全日本が分裂。NOAH旗揚げに参加するが、高山とのコンビ解消、NOAH退団をキッカケに、様々な団体を渡り歩く流浪生活を送ることになってしまう。
 たら・れば話になってしまうが、もしジャイアント馬場が亡くなることなく全日本プロレスが存続していたら、大森はまた違ったレスラー人生をおくっていたのではないだろうか。一度リセットされて、NOAHという団体で新たに実績を積み重ねるのはではなく、全日本マットで戦いが続いていれば、また違った結果が見えてきたかもしれない。
 今の大森隆男に対して、別に不満があるわけじゃない。トップ選手になったことに代わりはないし、ある意味、自分らしい選手になったんじゃないかとも思う。そのレスラーらしくないキャラクターも認知され、ファンからも愛されるようになった。ただ、どうしても、今の大森隆男が“自分の才能を完全に活かした理想型”だとも思えないのだ。
 みんな大森に期待をしてきた。時には野次を叫んだり、罵声を飛ばしたこともあるかもしれないが、それは大森が好きだったからだ。デビューして今年で16年。ベテランと呼ぶにはまだ早い。まだまだ大森にはやれることがある。




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[終了]オレだけの四天王プロレストップ
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