視線の先に 第二章
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どちらにも一長一短があるが、我々の収入では、都内ではどのみち、たいした家には住めぬという当然の、そして悲しい結論に達してしまった。
そのとき私は同僚にあわせて苦笑じみた笑顔を泛べておいたが、内心はちがった。
脳裏に、若いころにオートバイで走りまわった信州のあちこちの景色がリアルによみがえっていた。
とりわけ私が好んで走っていたのは国道299号線を中心に設定したルートだった。
ちょうど博幸と同じくらいの歳だった。125tのオフロードバイクにキャンプの道具を括りつけて走りまわったものだ。
私の脳裏には八ヶ岳の威容と野辺山高原の広大な景色が拡がっていた。
東京に家を建てるのをあきらめてしまえば、つまり本宅なしの別荘のみでいくならば、淑子のやりたいことができる家が造れるのではないか──。
資料を集めてみた。
整備され管理された別荘地の価格は思いのほか高額だったが、そうでない土地、あらためて水道を引かねばならぬような土地は思わず頬がゆるむような価格で入手できることがわかった。
避暑が目的ではない。
淑子に好きなことをやらせてやりたいのだ。
いわば工房をつくるわけであるから、管理された別荘地は必要ないし、絶景でなくてもかまわない。
以上が野辺山に土地を入手し、家を建てた顛末だ。
淑子の工房はまだ本格的に稼働しているわけではないが、休日には必ずといっていいほど野辺山を訪れる。
都下三鷹(みたか)の賃貸マンションを深夜に発つ。
調布(ちょうふ)から中央道にはいり、須玉でおり、佐久甲州街道を北上して別荘に至るまで150キロほど、二時間弱といったところだから億劫になる距離ではない。
このあたりの夏の平均気温は一九度、この清涼さを肌が知ってしまうと、猛暑の東京にはいられない。
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