
視線の先に 第二章
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中央高速を須玉(すだま)で降りて、佐久甲州(さくこうしゅう)街道を北上して清里(きよさと)をすぎ、県境を越えて長野にはいった野辺山(のべやま)の附近に私の別荘はある。
三千平米強ほどある土地の広さが自慢だ。
逆に建物は、休日を利用して基礎以外はセルフビルドに励んだログの九十平米ほどのこぢんまりとしたものだが。
別荘というと、たいがいの人に驚かれる。
笑顔の裏に、一介のサラリーマンのくせに、という気配をみせる人もいる。
そこで私がなぜ別荘を持つに至ったかを説明すると、やっと相手の眼差しの奥がやわらぐ。
淑子は京都の美大で染色を学んだのだが、私と結婚してからは主婦に徹してくれた。
けれど淑子がときどき染色関係の書籍を繙(ひもと)いていることには気付いていた。
ある日、何気なく、つまりたいした考えもなく、遠慮せずに暇をみつけて染色の仕事をしてくれと言ったところ、苦笑がかえってきた。
時間の遣(や)り繰りはできても、マンションの、それも賃貸の一室では無理だという。
淑子のやりたいことには思いのほかスペースが必要であるのと、染料を扱うことから、賃貸の部屋を汚すわけにもいかないということだった。
ちょうどそのころ同僚と、借家でいくか持ち家かという会話を交わした。
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